今日届いた三井住友VISAの会員誌を見てみたら、特集が白州正子さんだった。そうです、白戸次郎ではなく、白州次郎の奥さんの。
そのなかで正子さんは、骨董は一番の良品を見定めて買う、と述べられていた。しかも、飾っておくのではなくて、生活で使うものとして。
能を見るにあたってもそれは同じで、名品を見よというのがモットーだったそうだ。
思い起こすと、芸を理解するとはそういうことだ。凡人であるたぬき猫にとって、このために最高のものを見たり経験する、じかに触れることが一番であると思う。それはつまり、本物を知るということだ。
個人的な好みで恐縮だが、音楽だったらウィーンフィル、バレエだったらやっぱりパリオペラ座やロイヤルバレエ、モーツアルトのピアノ協奏曲27番だったらゼルキンとか、そういうことだろう。
眠たいバレエを見るのだったら、パリに飛んでオペラ座バレエを見るべきだ。
なぜ、オペラ座バレエがすごいのか、分析して考えるのはその後でいいのだ。
本物を見るということについては、
返信削除山本周五郎という作家にもエピソードがあります。
子どもの頃、質屋に丁稚奉公に言った少年(周五郎)に、
店主は、とにかく本物の品物だけを見せて、質屋として品物の価値を見極める力を養わせたそうです。
まがいものは見るなと言って。
その視点は後に周五郎が作家として人間を描く時に大いに生かされたと言います。
本物を知るとおのずから本物でないものが分かる。
本物を見極める感性を育てるということも、大事だと思います。若いころに本物に出会うことの大切さを思います。
そういうわけで、最近オペラに本格的にはまっているぷんくまは、
鍛えられた身体から響く、人間の歌声のすごさにすっかり魅了され、魂が揺さぶられる思いをしております。
バレエに関しても同じです。極限まで鍛えられた本物の動きは、理屈抜きに美しい。
しかしパリは遠いなあ…。
芸文に来た、シルヴィ・ギエムの最後の「ボレロ」を見に行けなかったことが、ここ数年の最大の痛恨事です。
山本周五郎、調査してみますです。
返信削除シルヴィ・ギエムはエトワールやプリンシパルのなかでも別格の存在ですね。そう、鍛えられた動きは完璧と言えるもの。
シルヴィ・ギエムのジゼルはあまりに美しすぎて、はかなさが感じられないほど。