2012年7月21日土曜日

日本の文脈

第4回日本の文脈


第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの
第4章 戦争するか結婚するか

一気に読み進めていきました。

ユダヤ人と日本人の持つ大きな共通性は、
どちらも世界の端に位置する辺境性である。

しかし、世界の知的なフレームを変え
組織やノーベル賞などの表彰のシステムを作り上げてきたのはユダヤ人である。
スパイラル的に飛躍していく考え方はユダヤ人独特である。
基本的に日本人の思考過程とは違う。
日本の知的な考え方は、
生と死の境界上インターフェース上にある。
知的構造物を作り上げようとすると両面に足をかけなくてはいけなくなってしまう。

では、日本人は、
ユダヤ人的になるべきか。それともインターフェース上知性を鍛えるべきなのか。

内田氏と中沢氏の一致した意見は・・・
日本文化には里山がある。
ユダヤ人には自然がない。人間しかいない。

日本人にあってユダヤ人にないものそれは、
農業

日本人ならではの知性の構築をめざすべきといっているのではと推測します。

4章では、
個別の指導計画は、
中沢氏のゲリラ戦とおばさん戦略が
日本人の知性とコーディネーターとしての戦略にあっているか
ということについて意見を出し、
はっきりとした結論は出ず、第4章を終えました。
次回は、ちょっと間があいて、
7月31日に第5章からです。

2012年7月5日木曜日

日本の文脈

「日本の文脈」 第3回

今回は、第2章「教育も農業も贈与である」を読んでいきました。

日本語は真名と仮名の二重構造。
外来を上と見て吸収していく言葉としての真名
身体にすっと入ってくる、土着語としての仮名
二つの言語の間に入って翻訳をするのが、
「男のおばさん」こと 内田樹さんと中沢新一さん。
二つの世界の橋渡し役です。

橋渡しと言えばコーディネーター。
特別支援コーディネーターとも関連させながら読み進めました。

そして、この章で重要だったのが「穴」
「穴」も二つの世界の橋渡し。
「穴」をふさがないことが大切・・・ということで、
この章のキーワードでした。

また、この2章の表題にもあるように、
すべての人間的営為は(学校も、農業も)「贈与と反対給付」によって構成される
と記されたところで、次の章へと進みます。