拡張ゼミです。深い教養と洞察から生まれる知と感動についてゆるーく考えていきます。右脳ゼミは〝教養主義宣言〟!
まとめ担当のカントリーライダーさん、記録とアップ担当のぷんくまさん、どうもご苦労様でした。今回の補完(補足)を少し。禅における悟りは、日常生活の「気づき」とつながっていました。禅の思想は感性的で、体の感覚とどうも密接な関係にあるようです。東洋的ですねえ。一方、西欧思想で対応してくるのはデカルトに代表される懐疑主義でしょうか。あらゆるものを疑うと、否定できないのはこれを思考している自分だけだという「我思う、故に我あり」は名言です。文学部のぷんくまさん、いかがでしょう。さらに、デカルトと言えば松果体、松果体と言えばメラトニンです。今回は、感性による気づきがテーマでしたが、「知」に基づいて物事を見ていくことももちろん大切です。バランスが重要ですし、知識は持っているだけでなく、どのように活用するかが大切でしょう。
「我思う、ゆえに我あり」には、なるほどと思えても、「魂の在り処=松果体」には怪しげな、錬金術師的なイメージを持ってしまう、ちにたです。 知っているだけではなく、表現すること体現することによってはじめて「理解した」ととらえるルネッサンス期の考え方も「知の活用」を重視していたということでしょうか。
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まとめ担当のカントリーライダーさん、記録とアップ担当のぷんくまさん、どうもご苦労様でした。
返信削除今回の補完(補足)を少し。
禅における悟りは、日常生活の「気づき」とつながっていました。
禅の思想は感性的で、体の感覚とどうも密接な関係にあるようです。東洋的ですねえ。
一方、西欧思想で対応してくるのはデカルトに代表される懐疑主義でしょうか。あらゆるものを疑うと、否定できないのはこれを思考している自分だけだという「我思う、故に我あり」は名言です。
文学部のぷんくまさん、いかがでしょう。
さらに、デカルトと言えば松果体、松果体と言えばメラトニンです。
今回は、感性による気づきがテーマでしたが、「知」に基づいて物事を見ていくことももちろん大切です。バランスが重要ですし、知識は持っているだけでなく、どのように活用するかが大切でしょう。
「我思う、ゆえに我あり」には、なるほどと思えても、
返信削除「魂の在り処=松果体」には怪しげな、錬金術師的なイメージを持ってしまう、ちにたです。
知っているだけではなく、表現すること体現することによってはじめて「理解した」ととらえるルネッサンス期の考え方も「知の活用」を重視していたということでしょうか。