拡張ゼミです。深い教養と洞察から生まれる知と感動についてゆるーく考えていきます。右脳ゼミは〝教養主義宣言〟!
本日のランチョン右脳ゼミ、おつかれさまでした。ゼミ風景の初お披露目もありがとうございます。たぬき猫的に、今日のディスカッションで一番印象に残った言葉は、「ネコの恩返し」でした!ネコがご主人様にせっかく捕獲したネズミを持ってきても報われないんですねえ。このネコの行動を無心になって考えても、なぜネズミを持ってきたのか理解できにくいですから無理はありません。ネコと飼い主の間にコミュニケーションのギャップができてしまうわけですが、ネコの立場になって考えることができれば、お互いにハッピーなのです。
みなさん、お疲れさまでした。題名をつけ忘れたと思って帰ってきたら、もうついていました。猫さんでしょうか、ありがとうございました。「おもてなし」という言葉が、本日の「ホスピタリティー」の訳としてはちょっと違和感があるのはなぜなんだろう。「おもてなし」の精神は、それこそ日本のお家芸だと思うのに、なぜ「ホスピタリティ」という言葉でわざわざ表現しなければいけなかったのだろうと、大根を切りながらぼんやり考えていました。日本には「敬語」という独特の言葉があって、そのなかに「謙譲語」というのがあります。相手に対して、主体が「へりくだる」という関係です。「おもてなし」の言葉の背景にはその関係性が入り込んでいるんじゃないでしょうか。主従関係とまではいかないけれど、関係性を微妙にずらして穏便に他人との折り合いをつけようとする日本の知恵がここには潜んでいるような気がします。一方「ホスピタリティ」とはあくまでも「対等」の関係での「対話」だとありました。キャストとゲストの関係は対等なんですよね。この辺りにも、西洋と東洋の自他のとらえ方の違いが表れているような気がします。やわらかゼミの対話の中で、「西洋と東洋」というテーマが繰り返し登場していますね。
けったいな板書をした昼ままです。今日の教訓!はじける右脳ゼミには「無」で臨め!変に板書計画なんてものを考えていたため、みなさんの意見をうまくすいあげてボードにまとめることができませんでした。妙はフィルターがかかったんですよね。反省です。代わっていただいたちにたさんすみませんでした・・・今日のゼミでまたTDRに行きたくなりました。TDRに行くのは一種の修行です。体力的にも金銭的にもしんどい思いをするんですが、帰ってくると「また行きたいなあ」「今回も魔法にかかってもたなあ」と思うんですよね。またあの「ネズミ野郎」の魔法にだまされられて夢を見たいくなりました。
「はじける右脳ゼミ」初参加のもちっこでした。参加させていただき、ありがとうございました。脳がだいぶ活性化された気がします。相手の心がわかりにくかったり、周りからは見えにくい感じ方をしていたりする発達障害児との間には、どうしてもコミュニケーションのギャップが出てきます。こちらが良かれと思ってしたことが、彼らにとっては「猫が持ってきたネズミ」かもしれないのです(逆も然り)。まずは、相手の立場に立って考えることが得意な方が、相手をわかる努力をしなきゃいけませんね。ホスピタリティで大事なことは「相手をよく知ること」ですから。人材育成の話もでましたが、コミュニケーションが苦手なタイプの新人(ゲストのニーズが読みにくい)が入ってきた場合はどうしているのかな?と思いました。とにかく、今度うちの猫がネズミを捕まえてきても、叱るのはやめてみようと思います。
ようこそ、もちっこさん!これからは、意外にもネコの時代かもしれません。ネコもご主人様に気を使っているじゃありませんか。見た目だけでも可愛いです。しぐさも心憎いところがあります。ご主人様の心も癒されます。ネコの心を読む修行が、他の人の気持ちを考えることにもなるかもですよ!
ぷんくまさんが言われた、謙って尽くすことがおもてなしだとすると、その意味することは何でしょう。たぬき猫が考えるに、おもてなしにあたっては、もてなす側があくまで主体であり、「尽くす」という言葉がよく似合うと思います。つまり、もてなす側の満足度が大切なのです。豪奢な料理でなくとも、その土地で穫れる美味しい食材を使った食事を作るというのが、心づくしの精神なのかと思います。それに対して、ホスピタリティでは対等、あるいは受ける側の満足度が重視されている気がします。例えば、スパで癒されるという時はやはりホスピタリティを感じているのでしょう。誕生日だったりすると特別なサービスがあったりしますが、これはお客さんがどう喜ぶかを予想してのサービスです。お客さんが、ホスピタリティを感じればそれで良しなのです。
たぬき猫さんは、「おもてなし」と「ホスピタリティ」の違いは、満足する主体を、主人と客人のどちらに見るかの違いではないかとおっしゃっておられるということで・・・あっていますか?広辞苑で遅まきながら「もてなす」「尽くす」の意味を確かめてみたのですが、なるほど、「へりくだる」というニュアンスは意味群にはないようでした。「おもてなし」とは、「心づくし」てできる限りの努力をしたごちそうを主人が提供することに重きがあって、そのことで客人がどううけとめたかはまた別の問題としてとらえる。(もちろん満足してほしいわけだけれど)ホスピタリティは、客人が満足するにはどうしたらよいかということが発想のもとにあって、そのために主人としてどのようなことをすればよいか、という考え方をする。満足の主体の在りかの違い、納得しました。ホスピタリティの言葉の方が包括的でもあるんでしょうか。私は「おもてなし」という言葉に、日本の旅館の主人と客の関係をイメージしたわけですが、対等じゃないんじゃないかということが頭にあったのです。「へりくだる」ということは、自分の立場を低めて相手の存在を高めるという位置関係をとるということですが、その関係を用いることによって相手の満足をより満たすということを、無意識にしているのかなと思ったのです。相手に対する関係の取り方の違いがこの言葉の違和感のもとなのかなと思い付いたのでした。お返事ありがとうございました~発言してみるもんですね。いろいろ考えることができました。
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本日のランチョン右脳ゼミ、おつかれさまでした。
返信削除ゼミ風景の初お披露目もありがとうございます。
たぬき猫的に、今日のディスカッションで一番印象に残った言葉は、
「ネコの恩返し」でした!
ネコがご主人様にせっかく捕獲したネズミを持ってきても報われないんですねえ。
このネコの行動を無心になって考えても、なぜネズミを持ってきたのか理解できにくいですから無理はありません。
ネコと飼い主の間にコミュニケーションのギャップができてしまうわけですが、ネコの立場になって考えることができれば、お互いにハッピーなのです。
みなさん、お疲れさまでした。
返信削除題名をつけ忘れたと思って帰ってきたら、もうついていました。猫さんでしょうか、ありがとうございました。
「おもてなし」という言葉が、本日の「ホスピタリティー」の訳としてはちょっと違和感があるのはなぜなんだろう。
「おもてなし」の精神は、それこそ日本のお家芸だと思うのに、なぜ「ホスピタリティ」という言葉でわざわざ表現しなければいけなかったのだろうと、大根を切りながらぼんやり考えていました。
日本には「敬語」という独特の言葉があって、そのなかに「謙譲語」というのがあります。相手に対して、主体が「へりくだる」という関係です。「おもてなし」の言葉の背景にはその関係性が入り込んでいるんじゃないでしょうか。
主従関係とまではいかないけれど、関係性を微妙にずらして穏便に他人との折り合いをつけようとする日本の知恵がここには潜んでいるような気がします。
一方「ホスピタリティ」とはあくまでも「対等」の関係での「対話」だとありました。キャストとゲストの関係は対等なんですよね。
この辺りにも、西洋と東洋の自他のとらえ方の違いが表れているような気がします。やわらかゼミの対話の中で、「西洋と東洋」というテーマが繰り返し登場していますね。
けったいな板書をした昼ままです。
返信削除今日の教訓!
はじける右脳ゼミには「無」で臨め!
変に板書計画なんてものを考えていたため、みなさんの意見をうまくすいあげてボードにまとめることができませんでした。妙はフィルターがかかったんですよね。反省です。
代わっていただいたちにたさんすみませんでした・・・
今日のゼミでまたTDRに行きたくなりました。
TDRに行くのは一種の修行です。体力的にも金銭的にもしんどい思いをするんですが、帰ってくると「また行きたいなあ」「今回も魔法にかかってもたなあ」と思うんですよね。
またあの「ネズミ野郎」の魔法にだまされられて夢を見たいくなりました。
「はじける右脳ゼミ」初参加のもちっこでした。
返信削除参加させていただき、ありがとうございました。
脳がだいぶ活性化された気がします。
相手の心がわかりにくかったり、周りからは見えにくい感じ方をしていたりする発達障害児との間には、どうしてもコミュニケーションのギャップが出てきます。
こちらが良かれと思ってしたことが、彼らにとっては「猫が持ってきたネズミ」かもしれないのです(逆も然り)。
まずは、相手の立場に立って考えることが得意な方が、相手をわかる努力をしなきゃいけませんね。
ホスピタリティで大事なことは「相手をよく知ること」ですから。
人材育成の話もでましたが、コミュニケーションが苦手なタイプの新人(ゲストのニーズが読みにくい)が入ってきた場合はどうしているのかな?と思いました。
とにかく、今度うちの猫がネズミを捕まえてきても、叱るのはやめてみようと思います。
ようこそ、もちっこさん!
返信削除これからは、意外にもネコの時代かもしれません。
ネコもご主人様に気を使っているじゃありませんか。見た目だけでも可愛いです。しぐさも心憎いところがあります。ご主人様の心も癒されます。
ネコの心を読む修行が、他の人の気持ちを考えることにもなるかもですよ!
ぷんくまさんが言われた、謙って尽くすことがおもてなしだとすると、その意味することは何でしょう。
返信削除たぬき猫が考えるに、おもてなしにあたっては、もてなす側があくまで主体であり、「尽くす」という言葉がよく似合うと思います。
つまり、もてなす側の満足度が大切なのです。
豪奢な料理でなくとも、その土地で穫れる美味しい食材を使った食事を作るというのが、心づくしの精神なのかと思います。
それに対して、ホスピタリティでは対等、あるいは受ける側の満足度が重視されている気がします。
例えば、スパで癒されるという時はやはりホスピタリティを感じているのでしょう。誕生日だったりすると特別なサービスがあったりしますが、これはお客さんがどう喜ぶかを予想してのサービスです。お客さんが、ホスピタリティを感じればそれで良しなのです。
たぬき猫さんは、「おもてなし」と「ホスピタリティ」の違いは、満足する主体を、主人と客人のどちらに見るかの違いではないかとおっしゃっておられるということで・・・あっていますか?
返信削除広辞苑で遅まきながら「もてなす」「尽くす」の意味を確かめてみたのですが、なるほど、「へりくだる」というニュアンスは意味群にはないようでした。
「おもてなし」とは、「心づくし」てできる限りの努力をしたごちそうを主人が提供することに重きがあって、そのことで客人がどううけとめたかはまた別の問題としてとらえる。(もちろん満足してほしいわけだけれど)
ホスピタリティは、客人が満足するにはどうしたらよいかということが発想のもとにあって、そのために主人としてどのようなことをすればよいか、という考え方をする。
満足の主体の在りかの違い、納得しました。
ホスピタリティの言葉の方が包括的でもあるんでしょうか。
私は「おもてなし」という言葉に、日本の旅館の主人と客の関係をイメージしたわけですが、対等じゃないんじゃないかということが頭にあったのです。
「へりくだる」ということは、自分の立場を低めて相手の存在を高めるという位置関係をとるということですが、その関係を用いることによって相手の満足をより満たすということを、無意識にしているのかなと思ったのです。
相手に対する関係の取り方の違いがこの言葉の違和感のもとなのかなと思い付いたのでした。
お返事ありがとうございました~
発言してみるもんですね。いろいろ考えることができました。