2011年7月9日土曜日

「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」後編

第二部「われわれは何者か」 第三部「われわれはどこへ行くのか」をテーマに語りました。
この本は、「われわれ」すなわち、「わたしたち『人間』」が「ひとつの生物」として、「現在を生き抜く」視点に立ち、過去から学び、未来に向かいどう進むべきか問いかけています。

人間は、思い込み、勘違いの動物だと私は常々感じています。人がまるで頂点にいるような錯覚、自分が見えているもの、聞こえているものがすべてのような思い込み、自分はきっと正しいことをしているという自信と不安・・・この本を読むことにより、そういう人の弱さに気づかせてもらえる・・・そんな1冊だったように思います。同時に、この本は「人でないとできない」こともたくさんあることも教えてくれました。たとえば、今回の話題の中心にもありました言語、それは人が得た素晴らしい能力だと思いました。鳥にあって、サルにはない・・・これにはびっくりでしたけど。模倣は人やサルには可能で・・・。人がつかんだ能力が、たまたま今の地球で生きる環境とマッチしたから人はここまで進化できたのでしょうね。でも、利己的遺伝子は、これから私たちにどんな変化をもらたすかわかりませんし、人が周囲を見渡す力を低下させると思わぬほかの生命体や環境からの逆襲を受けることになりかねません。そうなっては大変!これからも、自分にできること、自分だからできることを人が集まることで力を合わせて、追い求めていきたいと思いました。

個人的には、鳥の言語についての部分がとっても面白く、やっぱり言語学はロマンだわ~なんて思いつつ今回の本を閉じました。

この本を読み終えた今、物語の主軸となった一枚の絵を再度眺めて、みなさんはどのようなことを考えますか?

ファシリテーター:ケセラセラ   グラフィカー:キティ

1 件のコメント:

  1. 議事録のアップ、ありがとうござます。お疲れさまでした。

    後半で〝模倣〟について議論しましたが、音声言語の習得には模倣のメカニズムが関係しています。もしかすると、これがミラーニューロン?。

    次の本の風姿花伝を読んでも感じるのですが、日本の伝統芸能は、物まねから始まる、と言ってもよいのではないでしょうか。

    物まねする心は、深く日本人のDNAに来刻まれているのかもしれません。

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