2012年8月6日月曜日

日本の文脈

日本の文脈 最終回



長く続いた日本の文脈の道がとうとう最終回、ゴールを迎えました。
今回は一気に
第5章 贈与する人が未来を作る
第6章 東洋の学びは正解より成熟をめざす
第7章 世界は神話的に構成されている
の3章とコラム「荒ぶる神の鎮め方」を読み進めました。

中沢氏・内田氏の2人のおばさん的会話はますます好調で、
あちらこちらに話は展開し、結論付けることなく終わっていきました。
ただ、東北の地震と津波、そして原子力の問題は、
2人のはじめ意思した方向性とは違う方向に対談を進めて行き、
自然は人の意思を大きく左右するものだと印象付けました。

「頭の丈夫な子ども」を育てていくために
コーディネーターの私たちは、
身体を介して時間をかけて学ぶ「学び」を
提供していかなければならないと思いました。

日本の文脈の道は長かった様に
学びの道もますます長そうです。

次回からは、
「デザイン思考の仕事術」
棚橋 弘季 です。







2012年7月21日土曜日

日本の文脈

第4回日本の文脈


第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの
第4章 戦争するか結婚するか

一気に読み進めていきました。

ユダヤ人と日本人の持つ大きな共通性は、
どちらも世界の端に位置する辺境性である。

しかし、世界の知的なフレームを変え
組織やノーベル賞などの表彰のシステムを作り上げてきたのはユダヤ人である。
スパイラル的に飛躍していく考え方はユダヤ人独特である。
基本的に日本人の思考過程とは違う。
日本の知的な考え方は、
生と死の境界上インターフェース上にある。
知的構造物を作り上げようとすると両面に足をかけなくてはいけなくなってしまう。

では、日本人は、
ユダヤ人的になるべきか。それともインターフェース上知性を鍛えるべきなのか。

内田氏と中沢氏の一致した意見は・・・
日本文化には里山がある。
ユダヤ人には自然がない。人間しかいない。

日本人にあってユダヤ人にないものそれは、
農業

日本人ならではの知性の構築をめざすべきといっているのではと推測します。

4章では、
個別の指導計画は、
中沢氏のゲリラ戦とおばさん戦略が
日本人の知性とコーディネーターとしての戦略にあっているか
ということについて意見を出し、
はっきりとした結論は出ず、第4章を終えました。
次回は、ちょっと間があいて、
7月31日に第5章からです。

2012年7月5日木曜日

日本の文脈

「日本の文脈」 第3回

今回は、第2章「教育も農業も贈与である」を読んでいきました。

日本語は真名と仮名の二重構造。
外来を上と見て吸収していく言葉としての真名
身体にすっと入ってくる、土着語としての仮名
二つの言語の間に入って翻訳をするのが、
「男のおばさん」こと 内田樹さんと中沢新一さん。
二つの世界の橋渡し役です。

橋渡しと言えばコーディネーター。
特別支援コーディネーターとも関連させながら読み進めました。

そして、この章で重要だったのが「穴」
「穴」も二つの世界の橋渡し。
「穴」をふさがないことが大切・・・ということで、
この章のキーワードでした。

また、この2章の表題にもあるように、
すべての人間的営為は(学校も、農業も)「贈与と反対給付」によって構成される
と記されたところで、次の章へと進みます。






2012年6月18日月曜日

日本の文脈


日本の文脈 第2回


前回に続いて、第1章「これからの日本に必要なもの」を読んでいきました。
第1回目では、次々と進展する2人の対談のため、
彼らが日本人に伝えたかったメッセージが解明されなかったのですが、
今日は、1章中のそれぞれ分かれている話を細かく見ていくと、
少しメッセージが伝わってきました。

人は、原始からずっと、交換したいという要求を持っている。
その交換は、等価であると満足しないことがある。
資本主義経済は、労働に等価の報酬を用意したが、
人を本当に動かすのは、心が動いたときである。

それは、「贈与」

「贈与しよう」
未来に本当に必要なものを集めて
「ブリコラージュしよう」

そんなメッセージが見えてきました。
遅々とした歩みですが、次回は、
第2章「教育も農業も贈与である」です。
彼らの考える「贈与」が見えてきそうです。 

2012年6月17日日曜日

日本の文脈

日本の文脈 第1回


6月11日「日本の文脈」を語るゼミが始まりました。

思想家・武道家の「内田 樹」さんと思想家・人類学者の「中沢 新一」さん
会うべくして出会った2人の「男のおばさん」的対談。

思想家の使う難しい日本語の中に垣間見られるとりとめのない発言は、
まるで井戸端会議のよう。
対談として消えていく言葉が、文字として記されていく。

今回は、プロローグと1章途中までを読んでいきました。
まだまだ前章。
中身を読み解くまでにはいたらずに時間切れ。

2人の日本人に対するメッセージをこれからゆっくり読んでいきます。

2012年6月5日火曜日

なぜ国際教育大学で人材は育つのか 第3段



第4章からスタート。テラスで色々と意見を交わしました。

この本では、「学校の体制のすばらしさ」、また、「社会に出るためにはこれだけの体制が必要である!」と自信を持って終始書かれていました。

実質、語学を学び、その基礎を学ぶことでその人の人生の可能性を開く鍵となる。
しかし、その可能性を開くのは、鍵をもっていても、開こうとする意志がないと
難しい。広い視野を持ち、興味・関心・意欲が求められる。

また、この本のように、完成品の人ばかりを望む会社ばかりが増えても、
「教える側」と「教わる側」の関係が希薄になり、会社の組織として課題が
でてくるのではないか?と感じる。

学ぶチャンスが広がる現代、その学んだことを生かすかどうかは、本人の次第。
また、本人が頑張っていても、受け入れる側にその受け入れ、育てようという
心のゆとりが無いと難しいのでは無いか。と感じる。

最後に、それぞれ自分の教育感にもとづいて一言ずつ言い(決意表明みたい?!)
この本のまとめとなった。

2012年6月4日月曜日

国際教養大学で人材は育つのか(第2回目)


国際教養大学で人材は育つのか(第2回目)

今年度、最初のテラスでのゼミでした。
初夏の日差しの中、太陽に負けないくらい、みなさんと熱い時間を過ごすことができました。

今回は第1章から少しずつ読み進めていきました。
キーワードとなったのは「グローバル化と国際化の違い」についてでした。

みなさんといろいろな話を展開しながら、この本は読み手によってずいぶんと印象が分かれる本だなあと感じました。
と、書きつつも書店でこの本を手に取る方は、さまざまな背景を持つ人とは思いにくく、きっと一般的な書評は、想定の範囲内になる本だろうなとも思いました。

おそらく、通常ではこの本を読まなかったであろう私たち。
だからこそ、一緒に読み進めていくと、いろいろと興味深い話題がでました。
短い時間ではありましたが、みなさんの想いを聞きながら、広い視野に立った時、それぞれが、どのような範囲を見渡しているのか、私なりにいろいろと想像をめぐらせた楽しい時間となりました。
そして、この先どうなるのかなと、話の成り行きにワクワクしています。

最後に、今回のゼミで感じたのは、多くの方は、まだ本の筆者に共感したり、「なるほど」と納得したり、「それいいな」と感じたり思ったりはしていないということでした。

次回、最終章に向け、みなさんがどんな感想を持たれるのか大変楽しみです。