2010年6月10日木曜日

共感を引き出すしかけとは


7 件のコメント:

  1. ぷんくまです。
    皆様お疲れさまでした。
    がんばって読みましたね。
    ちゃぶだいをひっくり返した方もいらっしゃいましたね。

    読書は脳の冒険です。
    疲れたので、お茶を飲みにいきました。

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  2. ぷんくまさん、昼ままさん、とってもとってもお疲れさまでした。

    今回の課題図書は内容が盛りだくさんでしたので、まとめるのに大変苦労されたとお察しします。

    読書は、脳の肥料です。みなさん、知的冒険は楽しんでいただけましたでしょうか。

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  3. 今日の議論のなかでの意外なキーワードは、「多様性」でしょうか。

    種が絶滅してしまわないためには、できるだけその種に多様性があるほういい、と言われています。これは、環境などが激変した時にその変化に適応できるものを持っていると、生存の可能性が増えるためです。

    ヒトは高度に進化した共感の力によって、自ら多様性を維持している、あるいは、し得るという考えは的をえていると思われました。我々は、弱い立場にいる人への「思いやり」を持つことができます。

    一方で、民族間の対立、時によっては虐殺の歴史も背負っています。これも事実です。

    共感する力は持っていますが、わかり合うことは実は難しいんだろうと思います。

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  4. 「共感のうた」というネタを売りにしている芸人さんに、
    ちっとも共感できなかった ちにたです。

    共感する力とわかり合うこと。
    力は使ってこそ、ということでしょうか。

    「泣いた赤おに」「ごんぎつね」
    どちらのお話も、自分とは異なる文化を持つ者への共感が
    テーマです。
    他者の行為の中にある意図を読み解き、
    共感するとはなんとむずかしいことでしょう。

    子どものころからヒトは、このような物語の中から、
    そして生活のあらゆる場面の中から、
    「高度に進化した共感」を学んで
    人になっていくのでしょうね。

    人としての共感によって保たれた多様性は
    自然界のそれとは やはり 違う気がします。
    いくら事例をあげられても です。

    自分を守ることと共感することとの間には
    なんら対立は起きないはずだというのに、
    なぜ人は 共感の力を発揮することに
    ためらってしまうのでしょう。
    戸惑いを持つのでしょう。

    わかりあいの先にあるのは
    自分をなくしてしまうことなのかもしれないと
    不安になるのでしょう。
    むずかしいなぁ。迷宮入りです。

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  5. たぬき猫が思うに、共感というのは自分が感じるために存在する脳の神経回路を使って、他者の心情をシミュレートする行為なんです。

    それで、ヒトの場合はその神経回路の多くの部分が経験によって形成されるわけですね。ここが他の動物と大きく異なる点です。

    したがって、自分が経験したことのある情動体験は他者と共感できることになりますが、経験していないと共感メカニズムによっては理解できないのです。

    一方で、政治や経済体制、文化の異なる環境で育った場合は、他者を理解するにあたって、この共感メカニズムが有効でないということになるのでしょう。

    これを補完してくれるのが「知」なのです。他国の人の生活習慣や考え方などを知識として習得することによって、相互理解が深まっていくはずです。ここに教育の意義があります。

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  6. 共感とは、それほどむずかしいものなのでしょうか?
    我々が見ている人の様子から、その姿に共感をすることはある程度できることだと思います。
    ただ相手をどの程度知っているかということも大きな要素になると思います。

    もしも全く知らない民族が、私たちの経験していない表現方法でかかわりあっている場合、それに対して私たちは共感することが難しいと思います。
    少しでもその民族に関する生活様式についての知識を持っていれば、そのかかわりの様子を理解し、共感できるのだと思います。
    たぬき猫さんの共感のベースに必要な「知」を育むことが重要であるという意見に賛成です。
    我々は毎日の様々な生活経験から共感する力のベースを育んでいるのかもしれません。

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  7. もちっこです。右脳ゼミ2回目でした。
    参加させていただきありがとうございました。
    考えがまとまらないうちにずいぶん時間が経ってしまいました。今更ながら書き込みです。

    「共感」をテーマにしたゼミを経て、私が考えたことはやはり自閉症スペクトラムの方たちとの相互理解についてです。
    以前、自閉症スペクトラムの方たちの感じ方が私たちとはずいぶん違うようだということを知ったときは大きな衝撃を受けました。そして、まずは知ることが必要であると思い、障害理解教育について興味を持ちました。
    自閉症スペクトラムの方たちの感じ方と同じ体験することは難しいので「共感」には限界があると思いますが、そこを「知ること」で補完することが、相互理解につながると思います。
    たまたま今の世の中では少数派であり、不利益を被って「障害」という名前をつけられているスペクトラムの方々と、違いを認めあって歩み寄る(多数派からの理解と少数派の努力のバランスをとりながら)ことが、共生の秘訣であり、それにはお互いのリスペクトが大事だと思いました。
    乱文失礼しました。

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